Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #1 「外交官の仕事」NGOプレス報告
カテゴリ : NGOプレス
投稿者: Taki 掲載日: 2007-1-13
Good Job!セミナー「国際的な仕事」?世界が相手だっ!編 #1 「外交官の仕事」NGOプレス報告

1月10日(水)、JICA地球ひろばにて、Good Job!セミナー「国際的な仕事」(JICA地球ひろば・NHK共催)が開催されました。

第1回目は、
外務省総合外交政策局国際平和協力室長の紀谷昌彦氏から、「外交官の仕事 ?は、外交官だけのものではない?!」と題して、外交の仕事の様々な側面についてお話しされました。

NGO特派員 召田安宏さんからのレポート



■会場に到着

会場であるJICA地球ひろばには30分ほど前に到着、すでに参加者の姿がちらほら見られました。定員50名のセミナーに50名の応募があったそうで、席に余分はなく、取材という形の我々は会場後方に文字通り即席を用意してもらいました。

それだけ国際協力の仕事、国際協力を仕事にしている人の話に関心があることが表れている証拠でしょう。徐々に参加者が増えてきた頃、ふと感じました。参加者はスーツなどフォーマルな装いの人が多く、社会人と思われる人もいたが、その多くは学生のように見えました。

会場がほぼ埋め尽くされた頃、セミナーがはじまりました。



■セミナー開始

このセミナーは、これから仕事につこうと考えている人(主に学生)を対象に「働くとはどういうことか」を考えてもらうことがねらいです。「国際的な仕事」以外にも「環境の仕事」「放送の仕事」というセミナーがNHKの公共放送プロジェクトの一環として毎週開催されます。


『講演者プロフィール』

紀谷昌彦(外務省総合外交政策局国際平和協力室長) blog

先進国だけでなく途上国、防衛庁にも出向したりと、仕事を通じて様々な視点を培ってこられた外交官、っという司会からの紹介を受けて紀谷昌彦氏が入場しました。「国際的な仕事について、多角的な視点で説明できると思います。」と豊富を一言述べ、セミナーは幕をあけました。



(1)インタビュー

『世界で仕事をしたいと思ったのはいつ?』

最初は司会進行を勤めるJICAの小野氏との対談形式で進められました。「JICAが外務省よりも先に連続セミナーのゲストとして講演するちょっと組織的にまずい」とか「“外務省っぽくない人”を探していたら紀谷さんに白羽の矢が」っという冗談まじりの和やかな雰囲気のインタビューでした。

紀谷さんは小学生の頃は意外にも新聞記者になろうと思っていたそうです。当時から人のため、みんなのためになりたいと考えていたことが、小学校の卒業文集に公務員と書かれていることからもうかがえます。

中学時代はバスケ部に所属したり、バンドをやったりと、ごく普通の中学生。国際的な仕事に興味を持ち始めたのは、大学生になってから。


Q.世界で仕事をしたいと思ったのは、子どもの頃からですか?
A.大学2年生の終わりにはじめて一週間アメリカへ行ってきました。
 それほど小さいときから考えていたわけでは・・・。
理系、物理化学が得意で、国語と英語が苦手でした(笑)。

Q.このセミナー毎回ゲストの方に好きなCDを持ってきてもらってるんですが…
A.忘れちゃいました(笑)。予定では中島みゆきさんの「地上の星」を・・・。


そんなやりとりから、紀谷さんバージョンの「プロジェクトX」がはじまりました。



(2)活動経歴のプレゼンテーション


『これまでの軌跡』

大学生の頃、模擬国連のパンフレットを見てアメリカへ。その渡航費用は財団から資金が出るもので、アメリカに行った後も模擬国連サークルで2年間活動。研究者になることも考えたが、広く、高い視点から、人の役に立とうと思い、外務省へ。


1年間の実務研修を終え、その後の2年間はイギリスへ。海外では1年で修士をとれるところもあり、二つとった。英語はラジオ番組を録音、ウォークマンで繰り返し聞いて寝言が英語になるくらい猛勉強。

そして、ナイジェリアへ。
その頃は軍事政権でした。紀谷さんが帰った翌年に大使の車が襲われたり、マラリアの適切な治療が受けられず、亡くなられた人もいたそうです。

防衛庁に出向、外務本省での勤務を経て、ワシントンの大使館に就任したのは2000年。

その後はバングラディッシュへ。ヒ素問題のプロジェクト現場や、現地機能強化の実践やバングラディッシュ政府が作る貧困削減戦略ペーパーにわせて日本の援助戦略の改訂作業に携わってきました。



『...は外交官だけのものではない?!』

ここで講演のテーマ「...は外交官だけのものではない?!」の「...」は“外交”であることについてお話ししてくれました。

紀谷氏がアメリカにいた2000年前後から、開発問題の世界的な関心が高まってきました。途上国の開発問題やえひめ丸事件、9.11テロ事件、日米首脳会談などの問題に取り組んでいました。

9.11も、貧しさが原因でテロを起こしたと考えられ、援助がさけばれていたころでした。その一方日本はODA、外務省バッシングの真っ只中。

世界の開発とどうパートナーシップが行なわれていくかよりも、正しくお金が使われているかのチェック、日本独自の援助などが議論されていました。

そんなとき、えひめ丸事件が起こり軍事裁判に借り出されたときのことでした。“ご家族”(行方不明者のため“ご遺族”ではない)からの「わたしの夫を返して!」という手紙を翻訳。世界的に開発問題が盛り上がっている最中、内向きだった日本のODA改革へ、ワシントンから警鐘をならし続けていたそうです。

本業以外でも外務省やNGO、学生などを集め、ネットワークをつくり週一回セミナーを開催し、日本と世界の温度差を直すために活動されていたそうです。



『外交官の仕事ってなに?』

そもそも、外交官はどんな仕事なのだろうか。紀谷さんは「日本の国益(安定・反映・自己実現)を確保し、日本と他国、国際機関、世界全体の間に自らを置き、行動する仕事」とおっしゃった。

それと同時に、実質的な手ごまは持っていないが、自由にできる。外務省は世界との窓口であるとも語る。外務所の中に入って、自分ってなんだろうと考えたすえ、みんなに外交をやってもらうための仕事だと思うようになったそうです。

政府や実施期間、省庁や民間企業、NGO、メディア、研究者、学生からもからも発信できる。外交は外交官だけのものではない!みんなのものだ!と強調しました。

例えば学生。学生はアクターであり、学生だからこそのアドボガシーもあると語る。

外務省が持っているノウハウ・プラットフォームを解放し、活用してもらうことが外交官の仕事ではないかともおっしゃった。

「個々人がごみを捨てる、買い物をすることで影響を与える世の中になりました。それぞれが日本のあり方、世界のあり方を考え、日本人の普遍的な価値を世界にプロデュースしていくことが外交ではないでしょうか」



3.質疑応答

紀谷さんからのプレゼンが終わると、参加者との間で積極的に質疑応答が行なわれました。(以下、一部抜粋)

Q.日本と世界の温度差を解消するため具体的に必要なことはなんでしょうか?
A.政府・政府外のレベルで行動を起こすべき。政府も企業も学生もできる。
 子どもに途上国の問題を知ってもらう活動を実際に起こしている人もいます。
あれこれ考えるよりも行動することが大切です。

Q.なぜ日本が外国にお金を出すのか?っと聞かれたときなんて答えますか?
 日本国内でも募金があるのに、
なぜ国境を超えた問題にはお金だしちゃいけないんですか?
日本人以外は人じゃないんですか?努力してもうかばれない、
がんばってもうまくいかない人をサポートしないと世界はうまくいかない。

豊かになった国が責任を果たしてかなければならないと答えます。

Q.日本の行政は縦割りだと聞きますが、
 仕事をしていて「ココはよくない」と感じる部分はありますか?
A.組織的に後輩を育成する文化があればよかったなとも思う。
 欠点ではなく、機会であるととらえることが大切。

Q.仕事で一番大切にしていることは?
A.「夢」と「情熱」。何がやりたいのかイメージを持つことが大切。
エネルギーがないと人はついてこないし、どう調達するかが重要。

 そして「実行」。夢を持っているだけ、わかっているだけではダメ。
実行するかしないかは100倍、1000倍の違いがある。
 
他人は言ってることではなく、やったことをみます。

Q.自分自身が抱えている課題と夢は
A.ブログ見てもらえれば分かります(笑)
 英語とフランス語の音読で勉強、日々努力しています。
そして、自分のアジェンダは「日本のよさを世界のために」。

最後に紀谷さんから
「みなさんが外交を担ってほしいし、自分の良さをみんなのために」
というメッセージをいただき講演が終了しました。


■取材を終えて

仕事とのミスマッチが社会問題となっている昨今。これから働く人たちは紀谷さんからのメッセージをどのように受け取ったのでしょうか。

この記事を書いている私自身も4月から社会人として働きます。配属先にうまく溶け込めるか、仕事を早く覚えられるかなど、目先のことばかり不安に感じます。仕事を通じて何がやりたいのか、何を達成したいのかをこの時期にもう一度考えてみようと思いました。

驚くことに、現場で活躍している紀谷さんが今の仕事を目指したのは大学に入ってから。ただ流れに身を任せていてはできない仕事を「夢」や「情熱」をもって乗り越えてきた。そして、常にそれを「実行」してきた。

「夢」を描きにくい時代といわれますが、人を動かす原動力であることに変わりありません。くじけそうになっても、「夢」を見失わず、たえずエネルギーを補給していく大切さを学びました。

文責:召田安宏