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沖縄語で「ゆんたく」とは気負わぬ話し合い、おしゃべりのことです。 軽いあるいは他愛もない話し合いのことは「ふりゆんたく」と言います 沖縄を考えるゆんたく(第1回) 語り手 仲村渠正彦(なかんだかりまさひこ) 2012年3月25日(日)午後2時から5時まで 語り足りない方は終了後の交流会へどうぞ♪ 会場:ヤスミンライブラリー 福岡市早良区西新4?3?20西新柴籐ビル903 (地下鉄西新駅より徒歩1分。駅直結のエルモールプラリバの裏側、オレンジ通りを挟んだ向かい側) 参加費:300円 連絡先:メールyasmeen_library@yahoo.co.jp / 電話080?3189?6635(藤永) 主催 ヤスミンライブラリー
まずは仲村渠政彦(なかんだかりまさひこ)さんが語ります。
「沖縄を考えるゆんたく」のはじまり
原発建設立地問題と沖縄基地建設問題の共通性、はたまた「沖縄」と「パレスチナ/ガザ」の共通性が言われます。確かに問題の現れ方として共通な面はありますが、昨今はこの共通性が誇張され、一面性にすぎないものが全面的理解とみなされ、ことの本質が隠されてしまいかねません。 本質を射ることができない認識は情緒的な運動に陥りやすく、不本意な方向へ走って行きかねません。 どこが共通でどこが共通でないか、その由来と歩んでいる歴史を明かしながら、それぞれの水脈を探り当て、環流の先の共通の本質の把握へと向かわなければなりません。
沖縄をめぐる状況はどんどん変わってきております。 とりわけアメリカの世界戦略見直しに伴う軍事再編を基調にして日本とアメリカの関係(日米安保条約と日米地位協定)における軍事基地再編(米軍基地、自衛隊)が進行しつつあります。 日本の国土のわずか0.6%に過ぎない沖縄県土に日米安保に基づく日本駐留米軍基地の74%が集中しております。 そして、従来より基地返還は県内代替基地提供を条件とするため依然として沖縄の超過剰な基地負担状況は変わりません。 今後沖縄における米軍駐留が漸減するとしても基地機能は先鋭化して温存され、かつ自衛隊の増大が画策されることになり、沖縄の過剰な軍事基地負担は変わらないでしょう。 これらの軍事基地問題は戦後(日中・太平洋戦争)に端を発するわけではありません。 この問題を根源的に考えるには、近世からのとりわけ近代(明治)から現代までの琉球?大和(日本:「内地」「本土」)の関係を見ておかなければなりません。 近代日本はアジア領土拡張の帝国主義に走りました。 明治時代の「琉球処分」によって琉球は帝国主義国の斑図に組み込まれ、格下の国民としてアジア侵略の踏み台、植民地実験として利用されました。 そして琉球(沖縄)内部では、日本同化政策、皇民化政策を被り、自文化蔑視と自己卑下、アイデンティティ喪失、差別構造下での他者差別の葛藤というまさに実存に植民地的な状況を内面化した苦しい時間を歩んでおりました。 国内においては被害(被抑圧と差別)、海外においては加害(日本人、日本兵として)の両面を負いました。 太平洋戦争において沖縄は、そのような沖縄民衆を巻きこんだ「本土」攻撃の時間稼ぎの防波堤として凄惨な戦場となり、戦時のさなかには集団「自決」に追い込まれる悲惨を招来するものともなりました。 戦後は日本(「本土」)の独立(サンフランシスコ講和条約)の代償に沖縄を米国に差し出し、米軍占領状態を固定化した米軍政統治下におきました。 1972年の日本「本土」復帰も基地自由使用を担保し、沖縄を世界各地での戦争遂行のための不沈空母とするミリタリズムの中に置き、不条理はますます底深いものとなりました。
沖縄が本来の生活を取り戻すためには東アジアの平和構築が不可欠です。 沖縄には自国も含めどの国の軍事基地も要りません。 沖縄の思想界では「琉球共和社会連邦」「琉球弧島嶼社会連邦」が議論されつつあります。 沖縄の抱える問題、とりわけ現在の基地問題は、実はアメリカの世界軍事再編における日米関係がもたらしたものであり、したがって日本問題である、とも言えます。 逆に言うと「沖縄」には現代日本の安全保障の問題や戦争・平和の問題や国策と差別の問題が集積して現われているとも言えます。 それゆえに「沖縄」を考えることは私たち自身の現在の在りようや将来を考えることにつながります。
ここで私たちが考えなくてはならないことは何でしょうか? なぜ沖縄に基地が集中するのでしょうか? 私たちにとって沖縄とは何でしょうか? 沖縄にとって日本とは何でしょうか?
対等でない非対称な関係すなわち半植民地的な関係、社会状況はそこに住む人々(彼我)の心や他者との関係方法に何をもたらすのでしょうか。 そしてそれは現在の私たちの生活、社会とは無縁なことなのでしょうか?
仲村渠 政彦
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